2011/12/13

2011もあとわずか


1年なんてあっという間である。
























無極にして対極

現在の先進国を先進国たらしめたものは西洋的な思考であろう。
ある人はそれを砂漠的思考と呼んだ。それは砂漠にポツンと立っている自分を「上」から眺めようとする視線である。
それに対するものは、森林的思考であり、それは右も左も木々に囲まれながら、唯一見通しの聞く空を眺める下から上への視線である。
突き詰めればこの2つしかない。


先週のゼミで、院生のひとりが、東洋医学をテーマに発表を行った。
現在の研究の作法は、観測者は客観的位置からの観測が想定されている。
この方法は急速な近代化を遂げるためになくてはならないものであった。


歴史は何のために学ぶか。
歴史が社会の発展法則を検証するからである。
3.11は、近代的思考の限界を決定づけたように思う。
近代的手法の検証は終わったのだ。結果は見たとおり。
みんな気づいていたことが、3.11で顕になって全国総ショック状態。
いよいよ僕たちはこれまでとは違う方法を探るため、大きく舵を切らなければならないときがやってきた。


研究も、根本的なところから議論をしなおす時が来ているようである。
すべての「当たり前」は一度検証されるべきである。
僕は実家が鍼灸院をやっている彼女に、東洋的な思考で修論を書いたらと意見した。
それは従前の研究に対する評価軸では全く測れないだろう。学会は、大学は、研究室は、自分は、変われるのか。
来年が楽しみだ。













2011/12/09

地理の「理」

グローバリゼーションは「大地」があるシステムに染まっていくイメージだったけど、違ったようだ。
近代化の過程で自分たちが「大地」から離れていこうとしただけで、大地性(いわゆる風土かな?)が失われることなんて全くなく、ずっとそこに在り続けた。
そもそも、人は「大地」を離れることはできない。物理的に離れたって、そうである。
地理の「理」。
それは1万年前より昔からある「理」だ。

建築雑誌2011.12 オギュスタン・ベルクの緊急メッセージを読んで。

2011/12/08


遅い思春期のようなものがやってきています。
でも、なにか突き抜けられるような気がする。

優先順位が怪しくなっているけども、
それは目的の設定による。
今考えたいのである。それはいま取り組んでいることとも無縁ではない。
むしろ、今、目の前にあることから考えて辿りついている問題である。
1、2年の問題ではない。1万年の問題として考えたい。